◆ 滝川クリステルさまと旅人、中田英寿、そして南田洋子さまと中村江里子さまのことなど・・・2009.10.24

ガッカリ、でございます。滝川クリステルさまが

あろうことかアノ「旅人」中田英寿と「交際」している、

との報道なのでございます。




「交際」しているとは「オマ○コをやっている」それも「一晩に何回も」

そして「いくつもの体位を変えて」ということでございます。




滝川クリステルさまは日仏のハーフでございます。

肉食系、といってもいいと思います。そうしたことから

「アナルSEXも楽しんでいる」ということが十分想像しえるので

ございます。




この同じ東京の空の下で夜毎、あの美しい滝川クリステルさまが

犬も恥かしがるような思い切りバックのポーズをとらされ、

「旅人」にムチャ突かれをされて歓喜にうち震え、

白桃の肌がピンク色に染まるさまを見せているのかと思うと、

残念でならないのでございます。




ついこの間まで、何年間も夜11時半になると毎晩テレビの前に座って

「どうか滝川クリステルさまが自分の名前を万が一にも間違って、

今晩は、滝川クリトリスです、などと言うことがありませんように、」

と神仏に祈って手を合わせていた自分とはなんだったのか、

と無念なのでございます。




夜毎、右45度の角度から「いくらやってもいいのよ」の甘い眼差しで

語りかけてくるクリステルさまと過ごすあの30分は、

ニッポンのおとうさんにとっては至福のときでございました。




クリステルさまもおとうさんたちが、どんな思いでテレビの向こう側から

自分を見ているかを十分承知なされておりました。

承知した上でご自身も楽しまれていたのでした。




「女は、見られるだけでゾクゾクしちゃうの、

ホラ、陰唇が濡れてるの、分かるかしら」

と、モノ言わぬその妖しい目で「なぶり語り」されていたので

ございます。ニッポンのおとうさんとクリステルさまとの間の

誰れにも内緒の秘密の「黙約のひととき」。




テレビ、ツーショットダイヤルを思わせるようなマッタリと流れた

おスケベでゼイタクな時間。まるで「イタしているみたい」なあの時間が

どれほどニッポンのおとうさんの労働力再生に貢献したでありましょうか。

そしてあの時間こそが、奥方さまに向かう準備運動の時間となっていた

のでございます。




なのにあの番組からクリステルさまの姿が消えてしまい、おとうさんは

両腕をもがれたように茫然自失となってございます。




クリステルさまがテレビから姿を消されたことでの被害者の一人は

奥方さまでございます。ご主人さまの奥方さまに向かってくる回数が、

ここのところメッキリと少なくなられてしまったからでございます。

フジテレビは、誠にもってケシカランのでございます。




国民の財産である電波を使用させていただいている身でありながら、

危急の国策である「少子化問題」対策番組を葬り去ってしまったので

ございます。クリステルさまの後釜の局アナのアノお姉ちゃん、

「おじさまなんかキモーイ、ダイキラい」が顔に出ていてイタダケません。




見られることの快感、をまだ知らないのでございます。見られていることを

妄想しながらふける「オナニー」の極上の味をまだ知らないのです。

見せたり見られたりの、SEX以上に深い「卑猥な快感」の経験がない「小娘」

でございます。




ニュースを読むのは古館さんと善場さんの番組にまかせて、

キミはその時間はポールダンスでもご披露していなさい、でございます。




それにしても滝川クリステルさま、でございます。

相手がよりによってアノ「旅人」中田英寿とは「ガッカリ」

でございます。




「旅人」とはミュンヒハウゼン男爵の時代から「ホラ吹き」と

相場が定まっております。オオカミのソリに乗ったからはじまり、

ノガモの飛行機で空を飛んだ、八本足のウサギを捕まえた、

タイホウの玉に乗って国を越えた、あげくの果てには月へ行った、

と「旅人」の女性をタラし込むためのホラ話はとどまることを知らない

のでございます。




由に「旅人」を名乗るは昔から「詐話師」と同義語となってでございます。

もともとこの「旅人」中田をプロモーションするプロダクション自体がいかがわしい

のでございました。




以前この所属事務所の女社長が、「アフリカ難民を救済する」を提唱して

白いリストバンドを売り出したことがございました。

中田もテレビなどに出演して自からも手首にしたものを見せて

宣伝に一役買っていました。




紀伊国屋書店からスポーツショップ、デパートまで全国の数多くの店頭に

並べられて売り出されました。何百万個がたちまちのうちに売れたので

ございます。




原価は数十円もしない、ただの合成ゴムでございました。

取り扱った店もほとんど手数料を取ることもなくあの「中田選手」が

呼びかけているんだったら、とボランティア精神で協力したものでございます。

ですから収益は億単位の巨額なものになった筈でございます。




しかしマスコミにそのお金の使い道を問われて、くだんの女社長

「この金は難民に直接寄付をするのではなく、その啓蒙活動に使うのだ」

と宣うたものでございます。




要するにその金はこれからの自分たちの事務所の維持経費に使うのだ、

ということだったのでございます。直接「難民を救済する」寄付金となることを

信じてリストバンドを買い求めで協力した多くの善意の人々からすれば「詐欺」話

でございます。




「旅人」のところの女社長はプロモーションというカタカナの美名のもとに、

何でもありを平気で行う「タマ」なのでございました。もとはといえば「旅人」の

サッカー界の「頂点」でスルリと駕籠抜けしてさっと引退した行為そのものが、

多くのファンからすれば「「籠抜け詐欺」にあったも同然の背信行為でございました。




三浦カズやゴン中山が42歳を超えた今日もまだ現役にこだわり、

奮闘する姿こそ「美しい」、とアスリートとしての尊敬に値いするものでございます。

それは日本的美学、だ、といえばそれまでではございまが。




しかしアスリートに限らず勝者となって富を得、豪勢な生活を生きる姿に

人は心を動かされる何ものも感じないのでございます。

リングの上でなぐられても倒されてもなおも立ちあがって闘い続ける

「敗れえぬ者」にこそ魅入られるのでございます。




宝クジに当たって豪華な世界旅行の旅を続けるごとき(最近は国内旅行に

シフトしたようですが)元サッカー選手に、期待するものなど何もなく、

「成功という失敗」の人生を歩く人間の典型を見るようで、

ただ「ウザイ」く感じられるだけなのでございます。




テレビで彼、「旅人」の語るさまを見るたびに

「何んと浅く、軽薄な思考回路の持主よ」と笑わされております。




それにつけても滝川クリステルさま、でございます。クリステルさまの

以前噂になった男たちの履歴は皆、有名ラグビー選手やトルシエ時代の

フランス人通訳でございます、余程「スポーツ系男子」がお好みなので

ございましょう。




スポーツ選手は「集中力が命」と「集中力」を体に染み込ませております。

イザSEXというときにはその「偉力」が発揮されるのでございます。




腰を砕けよ、とばかりの荒々しい「集中力」に富む「旅人」の腰使いの突きをうけて、

クリステルさまのアソコは「煙が出る」気分から「火柱が昇る」気分の

「全身性器」と化して、夜毎身悶えられているのでございましょう。




ハンサムで名誉も金もパワーもある、おとうさんにはないものばかりを

持っている男たちを、クリステルさまは悔やしいかな相手にされる癖があるようで

ございます。




愛するものの「生きがい」は「愛されること」より、どこまでも

「愛すること」にございます。




ニッポンのおとうさんは、ないないずくしで、運にさえ見放されがちな

人生を生きているのでございます。が、ただ、一つだけ「愛する女性」の

幸せを願う心は人一倍強く持ってございます。




「クリトリス、いや違ったクリステル、いつまでも応援してるぞ!!」

また夜毎会いまみえる日が来ることを信じて、ひとまずのエールを贈る次第で

でございます。




初恋の人の名前は「千田ひろこ」さんといいます。

小学校5年生のときでございます。

クラス変えではじめて一緒のクラスになりました。

ヤセ形でカモシカのようなスラリとした長い手足を持った

瞳のクリクリとした実に可愛いらしい女の娘でした。




頭が良く学級委員をしていました。頭が良いことを鼻にかけることもなく、

笑い上戸で何か言うとすぐにケラケラと笑うのでした。

毎日学校に行くのがあんなに楽しかったことはありません。

学校に行くと休み時間はいつも彼女にまとわりついていました。




ひろこさんの家庭は上流家庭で、着るものも当時の時代では

子供心にも分かるような、エリのところにレースが付いた上質な

洋服を着ていました。コチラといえば極貧家庭の鼻タレ小僧で、

青っぱなを出しながらヒザの抜けたズボンをハいて、ハダシのままの

浮浪児の風体でございました。




なのに好きだから、何かというと理由もなくひろこさんに抱きついていました。

そんな小汚い坊主を、ひろこさんは嫌がる風も見せずに、他のクラスの男の子たちとも

分けへだてることなく相手にして遊んでくれました。大好きになっていました。

あれが「初恋」でした。いま思い返しても胸の奥がジーンと熱くなります。




ひろこさんの方も、嫌いではなかったと思います。

好き、と思ってもらうことはできなかったけど、

けっして嫌われてはいなかったと思います。




くだらない話やたわいもない百面相のヒョットコ顔をして見せると、そのことを

ことのほか面白しろがって笑い転げるひろこさんと一緒にいるときの楽しさ、

満足感は、なにごとにも変えがたく、子供心にいっそこの瞬間、

いつ死んでも構わないと思えたほどに幸福でした。

これまでの人生で、いちばん楽しい時間を過ごしていました。




「幸せな気持」は「死」さえも乗り越える力があるのだ、

そんなことを子供心にも学びました。




小学五年生から六年生になったとき、突然ひろこさんは東京に転校して

行ってしまいました。お父さんの仕事の関係で引っ越して行ってしまったのです。

ひろこさんがいなくなって、急に学校がつまらなくなってしまいました。




何かすると、体の調子が悪いといって、それを理由に学校を休むようになりました。

学校に行っても、ちょっとしたことで同級生の男の子とケンカをするように

なりました。なんか生きていたくない、子供のくせにそんな惓怠感に

襲われていたのです。




ある日学校の担任の先生から渡された手紙を家に帰ってきて

母ちゃんに渡しました。次の日、その日もグズって学校を休んで

家で寝ていました。腹が痛いとかの、嘘をついたのです。




朝、母ちゃんは学校に行きました。手紙に先生から、

母ちゃんに学校に来て欲しい、と書いてあったからです。

昼過ぎ、母ちゃんが学校から帰ってきました。




かあちゃんは「おまえ、来月から特殊学級に行くか」と聞いてきました。




「特殊学級って何よ」




「ひまわり学級、っていうんだって。

お前は学校から選ばれてそこに行くようになったらしい」




「選ばれて、って何だよ」




「各学校から毎年一人ぐらいづつ、選ばれてその学級に行って特別な授業を

受けるんだって。そこに今年はお前が学校から選ばれたっていう話だよ」




子供心にひまわり学級というところが、どういうところかは知っていました。

おもに精薄な児童が通っているところでした。その学級は隣町にあります。

ガク然としました。何んで俺が、という思いでした。




「母ちゃんは、そのひまわり学級がどんなところだか知ってて

俺に言ってんのか!!」と喰ってかかりました。




「知らね、ひまわり学級って、何だべよ」




「何だべよって、自分の息子がどんなところに入れられるかも

知らねえで俺に話しをしてるのか」




チクショウ、と大きな声を出して泣き叫びました。

母ちゃんはただ黙って泣いている私の姿を見ていました。




いまにして思えば、母ちゃんはどこまで知っていて、

ひまわり学級行きの話しをしたのか、と疑問に思います。




そしてもしあの話が本当だったとしたなら、

いまの自からの姿を思うにつけ当時の担任の先生は、

鋭い慧眼の持主であったのだ、と感心するのでございます。




「ひまわり学級」の話は絶大な効果がありました。

それから小学校を卒業するまで一日も休むことなく学校に行くようになりました。

勿論、友達とのケンカやいさがいも一切しなくなりました。




中学一年のとき牛乳配達のアルバイトをしていました。

配達先に黒い塀に囲まれた小さな家がありました。

早朝自転車に乗って配達にその家の前に行くと、年の頃五十前後の着物姿の

オバさんが家の前の道路をホウキで掃いて掃除をしている姿に会いました。




いつも着物の上から白いエプロンをしていました。

黒い長い髪を全部うしろで一つに束ねていました。

整った色白の顔立ちで、子供心に「美しい」と憧れていました。




あの東京に転校してしまった千田ひころさんが大人になったら

こんな顔になるに違いない、と思えるほどに面影が千田ひろこさんに

よく似ていました。




オバさんは姿を見かけるといつも笑顔で「ご苦労さま、ありがとう」と

優しく声をかけてくれました。中学一年でしたがマセていたのでしょう、

いつか「男」としてそのオバさんを「女」として見るようになっていました。

配達に行ってオバさんに会うのが楽しみでした。




あの家にそのオバさんは一人で住んでいたのでしょうか、他に住んでいる人を

見かけたことはありませんでした。誰れかの囲われ者、だったのかも知れません。

おばさんから子供心にも、尋常ではない色香を感じていました。




オバさんのところには牛乳瓶一本とヨーグルト一瓶を配達していました。

寒い朝でした。霧が降りていました。

いつものように配達の牛乳入れ箱を開けて上からまずヨーグルトを一瓶

入れました。いつもは箱の底に瓶がトンと落ちる音がするのですが、

その日はトンではなくグギュとした音が聞こえました。




ヨーグルトの瓶にはヒビが入って割れた音でした。

シマッタ、と思いました。

でも割れてしまったのです、あとの祭りでした。




変わりのヨーグルト瓶を、と思いましたが、そのオバさんの家がヨーグルトの

最後の配達場所で、交換しようにも予備のヨーグルト瓶の用意がありませんでした。

いまから牛乳店に戻って交換のヨーグルト瓶を持ってもう一度この場所に

戻ってくることも可能でしたが、そうすると学校には確実に遅刻してしまいます。




霧が降ったその日の朝はすこぶる寒くて、手袋をしていないサドルを握る手は

痛いぐらいに冷えていました。「知らなかったことにする」ことにしました。




壊れたヨーグルト瓶の上からいつもの牛乳瓶一本をソッと入れると、

その場からは舞中になってペダルを踏んで走り去りました。

オバさんの気配はありませんでした。




次の日の朝、牛乳店に行っても、店のご主人からは何にも言われありませんでした。

配達しながらオバさんの家に着きました。家の前にオバさんの姿はありません。

牛乳箱を開けると中には空になった牛乳瓶だけが一本入っていました。




黒塀の戸口のところにオバさんの気配がしました。

「オバさんだ」急いで牛乳箱に牛乳とヨーグルトを一瓶づつ入れました。

後を振り返らずに一目散に逃げるようにして自転車のペダルを踏んで立ち去りました。

頭の中にあの優しい、キレイな白い顔をしたオバさんの顔が浮かびました。




割れたヨーグルトの瓶をそのまま置いて立ち去った俺のことを、

どんな風に思っているんだろう、きっと不正直な男の子

と思っているに違いない、と考えるといてもたってもいられないほどの、

やりきれない気持ちになりました。「あのオバさんに嫌われた」、

そう考えただけで牛乳配達を続ける気が無くなりました。




その日、お店に戻って店の主人に家の都合で突然ですが今日で辞めます。

と申し出ました。担当している家は40軒足らずで

少なかったせいもあったでしょう。また学生アルバイトは

そうして突然辞めることが少なくなかったからかもしれません。




店の主人は嫌な顔を見せずに「これまでご苦労さん」と言って、

それまでの日当を精算して渡してあげるから学校から帰ってから

店に来るように、と言ってくれました。




やさしい主人でした。何かとても申し分けない気持になりましたが、

これ以上あのオバさんの前に自分を二度と顔をさらしたくない一心でしたので、

辞めることを躊躇することはありませんでした。




少年の心は傷つきやすく、また傷つくことを異常なほどに恐れる、

ガラス細工なのでございました。




そうした恋の遍歴があって中学三年生のとき、映画館で南田洋子さまを見たときは

ビックリしました。あの「千田ひころ」さんと「黒塀のオバさん」を

ソックリ合わせたような容姿だからです。「自分の理想のタイプを発見した」

と熱くなりました。顔も体も、性格も、存在すべてが好みのタイプ、

まさしくストライクゾーンでございました。




それからずーっとこの40数年間、憧れ続けてまいりました。

大人になったら「南田洋子さん」のような女性と結婚したい、が夢でした。

4回も結婚を繰り返してきました。




ご亭主が痴呆になられた姿の南田洋子さまをビデオで撮って

テレビで紹介されたときは、ハラワタが煮えくり返るほどに腹が立ちました。

「看護生活の困難な現状を世に知らしめる為に」がご亭主の口上で

ございました。




「認知症の老、老看護の困難な現実」は、これまで何度もテレビで放映されて、

世間にはよくよく知られている厳しい社会の現実でございます。

しかしそれはいまさらながら、なのでございます。

ご亭主どのがなされたことは誰れからも期待されていない余計なこと、

でございました。映画女優とは「人に夢を与え、希望の灯をともす」お仕事

でございます。




断じて人生の悲惨を突きつけて絶望をあおる仕事ではございません。

「老、老看護の困難な現実を世間に訴える、」は長門裕之、

おのれはその任にあらず、でございます。

「老、老看護の困難な現実」を世間に訴える、はご亭主の口実で

役者の悲しい性の「売名行為」であるのはあきらかでした。




寝たきりとなった実父の下の世話までの看護を十数年に渡って

洋子さま一人に押し付けておきながら、自分は放蕩三昧の限りをつくし、

浮き名を流した相手女優の名前を実名で書いた本まで出版して

芸能界から「干される浮き目」にあったご亭主でございます。




また馴れない事業に手を出して数億円の借金を作って破産寸前となったりの

正真正銘の「役者馬鹿」なのでございました。人気稼業ゆえの悲しさで、

いつも売れなくなったらどうするの強迫観念にかられたあげく、

石田純一と同じくプライベートしか切り売りすることがなくなって

テレビ局の甘言に計られての「認知症ビデオ」の公開であったのでありましょう。




考えてみればご亭主は気の毒な男でございます。

いい年をしてお人よしのところをテレビ局に狙われて騙されることとなって、

恋女房の「朽ち果てた痴呆の姿」を天下にさらしたのでございますから。




テレビで南田洋子さまの老いた痴呆に病んだお姿を拝見したとき「醜い」

とは感じませんでした。さすがに「美しい」とは見えませんでした。がしかし、

「汚い」とか「目をそむける」といった感情を持つことはありませんでした。




「いとおしい」気持、になりました。まぶしいほどに美しかった

あの南田洋子さまを知っているからです。老いてシワだらけになって顔が

こんな風に変わったのだ、との単なる肉体の「変化」を確認した気持でした。

美しいバラの花が朽れて、しおれているさまを見るような感概を持ったのでした。




不思議な自分の心持ちでした。若い頃は、老いた老人を見ると

「汚いものを見る」ような気分になったものでございます。が、

大好きだった女性、惚れた女性というものは、たとえシワくちゃになって

老いさらばえた姿を見せられても「いとおしく感じられ」

るものなのでございます。60を過ぎて知った己の「美意識」でございます。




南田洋子さまは、ご亭主のことをどのように考えられていて

旅立ったのでございましょうか。全部許していたのだと思います。なにもかも許して

「あなたって、いやあ〜ねえ」と優しく受け入れられて逝かれたのでしょう。




誰れしも名のある女優であったならば、絶対に知られたくない老いた肉体の姿を

世間にバラしたご亭主の功名心を、笑って心から許していたのだと思います。




南田洋子さまが記憶されるべきは、その芸能活動以上に

すべてを許してただひたすらに見返りを求めることのない

夫への無償の愛に生きた麗しき烈女であった、

ということでございます。




今のマンションに越してくる前、6、7年ほどの間、大きな墓地を見下ろす場所

にあるマンションに住んでいたことがあります。朝晩、休みの日など、

八階にあったマンションのその室からいつも墓地をながめていました。




墓地にまさしく人生の縮図がありました。大きな黒い大理石で建てられた

立派なお墓がありました。生前は社会で余程の大成功をおさめられた人の

お墓であったのでしょう。しかし、どんな事情があったのでしょう。

そのマンションに住んで、7年間の間一度もその立派なお墓に線香の一つも

たむけられていたのを見たことがありませんでした。




小さな、それでも真新しいお墓がありました。毎月、月初めのその墓主の祥月命日

と思われるその日、その墓の前で花をたむけ、くだものや菓子をそえて線香をたき、

手を合わせる二人の婦人の姿がありました。




年上の婦人は70前後と思われる老婦人で美しい白髪の持主でした。

もう一人の婦人は、その老婦人の娘なのでしょう、

老婦人に容姿がよく似た40歳前後の女性でした。




二人はその墓の前ではきまって30分近く時間をすごしていました。

ことさら語らい合うのでもなく、ただゆっくりと黙ってその墓の前で

時間を過ごすのが常でした。雨の日もありました、そんな日でも

傘をさしながら30分程の時間をその墓の前ですごしていました。




人間の価値は「その棺を覆うった後定まる」といいます。




決まって雨の日も風の日も欠かすことなく

毎月墓前に訪れる人を持った故人の誉れ、

を思い墓の主を心の底からうらやましく思ったもので

ございます。




大切なものは金でも財産でも地位や名声でもない、

愛し愛される人の存在なのだ、この人間の瞳の奥の彼方に自分は永遠でありえる、

と確信できたとき、人は安らかに往生できるのだということを、

墓の上のマンションでの7年間の暮しで学びました。




このところで「感謝」の心の無い人間はSEXでも不感症だ、

だから覚醒剤に走るのだ、という事実をまざまざと知らされたのでございます。

あの酒井法子さまのご亭主のアンポンタンに、でございます。




アンポンタンは初公判が開かれた法廷で、自分が公衆便所でクスリをやった、

と供述したのは法子さまの弁護士に嘘を言え、と言われたから従ったので、

本当は便所でなく自宅でやったのです、と供述したのでございました。




弁護士の仕事は被告の最大の利益の為に働く、ところにございます。

被告の利益の為なら、世界中を敵に廻してたった一人であっても

戦わなければならない、それが弁護士の仕事であり、職業倫理である、

との教育を受けられて弁護士の皆さまは弁護士となられているので

ございます。




それ由に母子殺人事件の犯人やサリン事件の犯人や、いまわしい連続通り魔殺人犯

に対しても、世間の批判やマスコミ論調をものともせず、

ありとあらゆる手段と論理をもって弁護活動を行うのでございます。




弁護士とはその犯人や人でなしの命を救うために、

「こんな人でなしは死んだほうがマシだ」と思えるような人間にも

「そんなことまで」のことをして頑張ってくれる存在なので

ございます。




なのにあのアンポンタンはその弁護士を法廷で売るようなマネ、

をして恥るところがないのでございました。アンポンタンは

感謝の気持ちを全く持ち合わせていないでございました。




自分が他人に対して「ありがとう」という気持がないから

他人もまた「ありがとう」という気持がないものと思えて

感謝の気持を持ち得ないのでございます。




人を信じることができないから、SEXもクスリなしでは成立しないので

ございます。「気持ちいい、こんなの初めて」と云って相方が気をイカせても

「嘘だろう、たいした気持がいい筈がない、それにこんなのは初めてじゃなく

56回目のはずだ」との猜疑心で自業自縛となっているがために、

達成感を得ることができないのでございます。

だからクスリの力を借りて動物的に性欲をかりててSEXをするしか

救いがなくなるのでございます。




「ありがとう」の感謝の心を持てない人間は

「不感症のSEX」しか味わうことができないので

ございます。




健常者がセンズリを止められないのと同じく、

アンポンタンが覚醒剤から足を洗うのは至難のワザ、

でございます。




もう一人、姫君でございますが感謝の心のない人間を見ました。

先々週の日曜日の朝のテレビでございました。元フジテレビアナウンサーの

中村江里子さまと、渡辺謙の娘のモデルの杏さま、それに男が一人、

フランスの有名ブランドの社長の三人が出演しておりました。




撮影されていたのはパリのセーヌ川を渡る船の中でございます。

有名ブランドの社長は東京にそのブランドの支店長として

勤務していた過去がありました。

彼は東京での生活の感想を話しました。




「東京は人間がとてもやさしい街でした。そして驚いたのは

日本人の仕事に対する正直な勤勉さ、でした。

ある土地に旅行に行ったとき、そこで買った品物を翌々日の午後七時に

自宅に届くよう、時間指定で宅急便で送りました。翌々日の午後六時五十分、

家の玄関のベルが鳴りました。玄関に出てみると宅急便の人が自分が一昨日、

旅先から送った荷物を持って立っていました。なんという時間の正確さでしょう。

こんなことはヨーロッパは勿論世界のどこに行っても考えられないことです」

と驚嘆していました。




続いて中村江里子さまはパリでの子供との暮しについて

次のように話されたのでございます。




「パリでは子供を一人では絶対にお留守番をさせません。

誰れか侵入者があると危険だから必ずベビーシッターを頼んで

大人の人間が一緒に留守番をします。また子供を小学校ぐらいまでは

絶対に一人で学校に通学させることはしません。これも危険だからです。

子供の学校にはそれぞれの親が送り迎えをするのが常識となっています。

五歳の子供を連れて日本に里帰りをしたとき、車の中から娘が外を見て

叫びました。ママ、私と同じ年の頃の女の娘が街を一人で歩いているよ、

大丈夫なの、危くないのと。小さい女の娘が一人で街を歩いているなんて、

パリでは信じられないことです」




と言ったあと中村江里子さまはこう続けられたのでございました。

「だから日本人はまだまだ甘い、

鍛えられなければならないというのが私の考えです」と。




自からを育くんだ日本という国の、安心と安全の癒しの故郷に

感謝の心を持つ気持ちを失い、どこまでも日本と日本人を貶めて

恥ることのない驕慢な雌を目撃して「ヘド」が出る思いを致しました。

幼な児の安全と幸福を見守る大人の眼のない社会、

のどこが文化的で先進的なのでありましょうか。




「これ以上借金に借金を重ねるような、馬鹿な政治を続けてはなりません」

と風に吹かれた髪をおよがせながら選挙カーの上で叫んでいたのは

鳩山総理その人でした。そしてこのたびの90兆になんなんとする、

借金に借金を重ねた「予算」でございます。




こうした財政を続けるならば遠からずして孫、子の時代に国家財政が破綻

するのは明きらかでございます。高校の学費無料化も、農民に対する補助金も、

暫定税率廃止も、高速道路無料化も、子供手当2万6千円もことごとく

結構でございます。




が、そのときは必ず「消費税は30%になります、よろしいですね」と

言葉を添え確認をとっていただきたいのでございます。




オマ○コに電球の玉を入れたら、気持ちがいいかもしれませんが

破裂して傷を負います、よろしいですね、ということを

言わなければならないのと同じなのでございます。




世の為、人の為ではない、目的はただ一つ、権力を握るため、

自分が権力を握るためには何でも平気で嘘を言うのだ、

という政治家という「人種」の本性を、就任一ヶ月足らずして見せてくれた

「鳩ポッポ兄」には感謝しなければならないと思います。




所詮政治家に頼っていたのではどうにもならない、ともすればひょっとしたら

と期待して弛緩していた心にムチを入れて目ざめさせてくれ、

自助努力こそ唯一の道であることを

改めて知らしめてくれてたのでございますから。




最後に一つ感動した話でございます。

すでに報道でご承知かと思いますが、

ドイツで27年前、当時14歳の娘を殺した義父であった元外科医75歳

の犯人の男を裁判の地であるフランスに誘拐して連れてきた

72歳の実の父の話でございます。




ドイツでは犯人のクロンバッハは証拠不十分で無罪となっていました。

犯人のクロンバッハには終身刑が予想されていますが、

実の父も禁固10年の刑が下される、といわれております。

人間社会はあたりまえの法律や倫理だけで

営なまれているのではないのでございます。




人間の社会を真に「人間らしい社会」であることの輝きと誇りを与えているものは、

愛するもののために命をかけて復讐をまっとうする、

神をも恐れぬこうした人間の存在でございます。

私財をなげうち娘の敵討ちを果たした父は話しました。

「墓前での娘への約束を果たしたのです」と。

墓は「葬祭」と「誓い」の場所でございます。

愛にほんとうの価値を与えた男、その男の名はバンベルスキー、

人類の「愛の砦」を死守した男、

でございます。



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